ヨーロッパへの伝来

スペインに渡って庶民にも親しまれる様なった「チョコレート」ですが、そこから更に世界へ広がっていきます。
スペインの次に広がったのは欧州、つまりヨーロッパです。
これも諸説ありますが、伝わった時期は16世紀から19世紀だと言われています。

当時は今の様にインターネットも便利な交通網もないので、物流は自然と人の往来になります。
その為に隣接している国から、徐々に欧州に広がったとされています。

また、別のページにも書きましたが、聖職者や修道院の関係者は交流があったので、そこで「チョコレート」の文化が各国へ広がったとされます。
このページを筆頭に「チョコレート」が広がった順番を有力な説を元に紹介していきます。

ポルトガル

2番目に「チョコレート」が広がったのは、隣接している「ポルトガル」だそうです。
これにはスペインの権力者だったカルロス1世の次の王・フェリペ2世がスペインとポルトガルを併合して両国の王をしていたからだと言われています。
そして、ポルトガル宮廷に宮廷ココア担当する「チョコラティロ」という職種を作って、ここで上流階級に「チョコレート」が広がったのです。

イタリア

3番目に伝わった国として有力なのがローマを中心とするイタリアの南部地域と言われています。
イタリアはカトリックの総本山がある国なので、ここでは聖職者達から「チョコレート」が広がったと考えられます。
1662年には「チョコレート」は栄養価が高く、また味も良いので満足感を得られることから断食の際に飲むべきなのか議論が行われ、最終的にローマ枢機卿の判断で飲む事が認められたという話もあります。

フランス

美食で有名なフランスですが、この国に「チョコレート」を広めたのはスペインです。
しかし、最初は「カカオ」に含まれる成分を「薬」にならないかと期待されていた節もあったそうです。
やがて、1600年初頭にスペイン王女とフランスの王が結婚する際に、王女から砕いて湯に溶かして、砂糖を混ぜて飲む「カカオ」の塊が贈られました。
これがフランスの宮廷に「チョコレート」が広がるきっかけだったと言われています。

そして、1660年前後にはフランス国内で「チョコレート」の製造と販売が始まったそうです。
その後30年程は流通の関係で、上流階級か聖職者しか口に出来なかったのですが、フランス国内で「カカオ」の取引や「チョコレート」の販売が1690年代に自由になってチョコレート」は安価になり、一般の人々も食べられる様になりました。

オランダ

かつてのオランダはスペインの領地だったので、その関係で「チョコレート」の文化が広がるのは早かったでしょう。
やがて、スペインから独立したオランダの商人達は利用法が分かった「カカオ」を大量に輸入して、すぐに「チョコレート」を多くの人達に行き届く商品にしました。
やがて「チョコレート」は、アムステルダムからドイツに入って、アルプスを越えて次は北イタリアに入ったとも言われます。

オーストリア

オーストリアにも「チョコレート」の文化が浸透しましたが、これは「スペイン説」と「ドイツ説」があります。
正確な国は分かりませんが、1711年から1740年まで国だったカール6世は他に国と異なり、輸入する際の「カカオ」の税金を低くしたので「チョコレート」が国民的な飲み物になりました。
そうして親しみやすくなった「チョコレート」の存在は1740年頃にスイス人の画家が描いた「チョコレートを運ぶ娘」として残されています。

そして、1830年頃にチョコレート菓子として有名になった「ザッハ・トルテ」がオーストリアで考案されたのです。

スイス

他の国と違ってスイスに「チョコレート」が広がった経緯はハッキリしてませんが、有力な説は1690年代にチューリッヒ市長がベルギーのブリュッセルから「チョコレート」を飲み物として持ち込んだのが最初とされています。
そして、スイス西部では18世紀末に川も水力を使った工場が建設されて、1790年代にスイス初の「チョコレート」を販売する店が出来たそうです。

アメリカ

「チョコレート」の原材料となる「カカオ」はメキシコで栽培されていました。
なので、地理系に考えると最初にアメリカに渡った様に思うでしょうが、実は「チョコレート」が上陸したのは大西洋を渡ってからです。
ここでも入って来た国はイギリスだったり、中央アメリカから陸路で渡って来た説もあります。

記録としては、17世紀末頃にはボストンのコーヒーハウスで「チョコレート」が扱われていたそうです。
やがて、アイルランドから移り住んできたジョン・ハノンが「カカオ」を砕いて扱い、それが「チョコレート」を普及させたと言われています。

イギリス

イギリスに「チョコレート」の文化が伝わったのは、1650年代と言われています。
その頃にイギリスはスペインからジャマイカ島を奪っていて、ここからイギリスに「カカオ」が供給されました。
そして、記録としては「パブリックアドヴァイザー」や「ニーダムの政治報道」という紙面に「チョコレート」の広告が掲載されていたそうです。

広告では「西インドから伝わった素晴らしい飲み物」として書かれており、販売されている場所や店主のプロフィール、それから店で飲めることや材料を安く売っている事を宣伝しています。
この頃は「薬」としても考えられており、効能を詳しく解説した本も販売されたいたそうです。

諸説ありますが、この記事に掲載された店がロンドンで最初に「チョコレート」を専門で扱う店の宣伝だと言われています。
コーヒーを扱う店が「コーヒーハウス」と呼ばれていたので、こちらは「チョコレートハウス」と呼ばれました。
ここでは飲み物の「チョコレート」を口にしながら、人々が政治や経済を論じたり、賭けごとをして楽しむ「社交の場」でした。
そして、イギリスは最初から「チョコレート」を安価で販売していました。
ただ、当初は値段が高く、やはり他の国と変わらず口にできたのは裕福な人々だけでした。

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