日本への伝来(1)

日本に初めて「チョコレート」が伝わったのは、江戸時代です。
この頃に日本が国交をしていたのは「オランダ」と「中国」と限られた国だけで、その交易の窓口だった長崎に「チョコレート」の記録があります。

1790年頃の3月に長崎の遊女が「しょくらあと」を貰い受けると、丸山町の寄合町の記録「寄合町諸事書上控帳」にオランダ人から貰った品に含まれていたとあります。
これが日本で最初の「チョコレート」と言われています。
オランダ人達が長崎の出島から帰国する際に使っていた道具や菓子類も渡していたそうで、長崎では「チョコレート」は「異国の珍品」として既に知られていたそうです。

この他にも長崎の見聞録では、1860年代にパリで開催された万博博覧会で幕府の代表として訪れていた15代将軍徳川慶喜の弟・徳川昭武がフランスのシェルブールのホテルで「朝8時にココアを飲んだ」と記しています。
「ココア」と「チョコレート」は別物と思うでしょうが、まだ固形の「チョコレート」が一般的でなかった時代なので、ここに書かれた飲み物は「チョコレート」だと言われています。

日本への伝来(2)

本格的に日本にチョコレートが渡って来たのは1700年頃とされていますが、そのより以前の1600年代に仙台藩主の伊達政宗がスペインにヨーロッパを知るための使節団を派遣したそうです。

それから200年後の1800年代にも、海外を知るための使節団が海を渡っています。
そして、1860年代には幕府が留学による渡航を自由化したそうです。
これによって多くの人が海外に渡り、その先で「チョレート」を口にした可能性があります。
年代的に固形の「チョコレート」も出来ているので、もしかすると現在の私達が食べている「板チョコ」を食べていたかもしれません。

明治時代に入ると「チョコレート」は日本にゆっくりとですが、広がっていきます。
歴史の教科書にも出てくる総理大臣になった伊藤博史など、有名な面々が揃っていた「岩倉使節団」がパリ郊外にある「チョコレート」の工場を視察したという資料も残っているそうです。
当時の製法や産地も調べられており、これらは「特命全権大使米欧回覧実記」という書物に残されています。
これが近代日本で初めて「チョコレート」が紹介されたのです。
その年の六月にウィーン万博で出品された「チョコレート」の記録されており、別の資料によると1870年代になると築地にある外国人達が居留する土地に西洋菓子店あったとされています。

日本への伝来(3)

明治時代になり、鎖国もなくなって海外の商品が輸入されるようになると西洋菓子を扱う店も出てきました。
そんな中で当時の新聞には「チョコレート」の記事や広告が既に掲載されていたそうです。

また、明治五年には「風月堂」がリキュール・ボンボンなど西洋菓子の製造を開始して、評判を呼んだそうです。
この「風月堂」は昔から諸大名の菓子を作ることを生業にしており、総本店の五代目が当時の番頭を洋菓子の修行に出して、日本でも「チョコレート」や「ビスケット」の技術が伝わった経緯だと言われています。

やがて、この「風月堂」で作られた「チョコレート」は「猪口令糖」という当て字と絵入りの広告が新聞に載ったそうです。
後にアイスクリームに「チョコレート」を混ぜた商品も作られて、これも「氷菓子アイスクリーム チョコラ入」という広告が載せられました。
今では当たり前ですが、まだミルク味が主流だった頃に「チョコレート」は新しい味でした。

やがて文明開化が進むにつれて、輸入された原料のチョコレートの加工や販売をする店が増えていき、最初は高価だった「チョコレート」が庶民にも親しまる様になり、手軽に買える「お菓子」になったのです。

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