スペインへの伝来(1)
アステカなど現地で繁栄した文明はスペインによって滅ぼされましたが、この時点でスペインには「カカオ」に関する記録が残っています。
コルテスというアステカ王国を滅ぼした事で有名な人物が、スペイン国王に宛てた書簡に「カカオ」が粉にして売られて、それが非常に貴重であり、当地では貨幣の役割を果たしており、必要な物は「カカオ」で揃えられるいるという内容を綴っています。
やがて、スペインに「チョコレート」が伝わります。
しかし、このスペインへの伝来に関して、正確な年月は分かっていません。
アステカ文明が滅ぶと、そこは植民地となり「新スペイン」と「スペイン本国」が出来ました。
その間を貴族や軍人、聖職者に官僚や商人など様々な人達の行き来があり、こうした沢山のルーツを通して庶民にまで広がったとされます。
ちなみに当時の「チョコレート」は、飲み物として口にするのが一般的でした。
こうした普及には、修道院や聖職者達の存在が大きかったと言えます。
記録によると、ヨーロッパで最初に「カカオ」が調理されたのは1530年頃のピエドラ修道院であり、更に1540年代にはドミニコ会の修道士達がマヤ族の貴族と一緒にスペインを訪問して、皇太子に謁見した時には泡立てたチョコレートを用意したそうです。
ただ、輸入された当時は「カカオ」の量は少なく、非常に高価でした。
これにより、調理した「チョコレート」を口に出来たのは一部の上流階級だけでした。
スペインへの伝来(2)
1500年代に「新スペイン」となったメキシコの「チョコレート」が庶民にも広がったのはアステカ王国が滅びて、スペインの植民地になってからです。
輸入された当時は量が少ないので貴重品だったのですが、王国が滅んで「新スペイン」と名前が変わった後も「カカオ」は納められて、それをスペインの人々が受け取りました。
やがて、新スペインの中では「カカオ」を円滑に流通させるシステムが作られていき、カカオが原材料の飲み物はスペイン人の間に広く知られるようになりました。
そして、それを飲む習慣が定着して、やがて庶民でも口に出来る様になりました。
これには扱う品種が変わった事もあります。
アステカ王国の上流階級が親しんでいた品種は、スペインに征服された後は生産できる量が多く、安い品種になったのも庶民的になった理由の一つです。
そして、本国のスペイン人と現地の文化が交わって、家庭の食生活に飲み物として「チョコレート」が広がったとされています。
ちょうど1520年頃は新スペインに「砂糖」が伝わったので、この頃には「チョコレート」は甘くなっていました。
アステカ王国の時代は甘味はなかったらしく、今の私達がイメージする甘い「チョコレート」になったのはスペインに伝わったからだという説もあります。
その後、アステカの戦士達の技術を応用して、飲み物だった「チョコレート」は固形になったそうです。